檀家をやめることの選択

先日主人の実家から地元のお寺の檀家をやめたよという電話がありました。

主人の実家とはお寺の問題や郷里のお墓のことで意見が違っていて、ここ数年間は結論が出なかった問題です。

田舎ではお寺と各家との関わりには根深いものがあります。

たとえお寺の中に家族や一族のお墓がなくても、お寺がその土地にそれなりに影響力をもつこともあるからです。

義実家のお寺との関わりやこれからのお墓の管理をどうするのか?

この問題に親子で向き合うことができたのは、主人の祖母の葬儀でのことがあったからでした。

お墓を引き継がないという気持ち

家の長男である主人が望んでいたのは、お寺とは縁を切ってお墓は今の親の代までにするということ。簡単にいうと主人がお墓を引き継がないということです。

なぜそういう考えになったかというと、先祖を敬わないとか、お墓が嫌いというのではなくて、保守的な村の中でお寺に支配された制度や古い体質、お墓のありかたに疑問を持っていたからです。

義実家の家は一族である本家や分家がまとまって一つの大きなお墓を造っています。そしてお墓の管理も一族の中で当番制でやるような仕組みです。

義実家がお寺とは縁を断るという場合、義両親の骨を埋葬するまでのお付き合いとなります。

その後のお墓の管理は一族の方に託されるので、厳密にいうと墓じまいをするわけではありません。

しかし義両親の死後はお寺やお墓とのつきあいがなくなるので、墓じまいのようなものになるのだろうと思います。

一般的には檀家でなくなるということはその代で墓じまいをするか、新しいお墓を買ってそちらに移すということを意味します。

お寺と檀家の関係

そもそも檀家であるというのはどういうことでしょうか?

日頃の会話で「うちは檀家だから」という言葉が良くでますが、檀家とはその家(つま代々のお墓)が特定のお寺に帰属しているという状態を言います。

ウィキペディアによれば、檀家制度とは寺院が檀家の葬祭供養を独占的に執り行なうことを条件に結ばれた、寺と檀家の関係を指すのだそうです。

それは、江戸幕府の宗教統制政策から生まれた制度であり、家や祖先崇拝の側面を強く持つとあります。(ウィキペディアから抜粋)

お寺が先祖代々のお墓を管理し葬祭の儀式を執り行う代わりに、その檀家であるその家の主または承継者は、お寺への寄進やお寺を維持存続させるためのお布施をします(これを檀家の務めといいます)。

檀家の引継ぎはお墓の引継ぎ同様に誰でも行えるのですが、檀家をやめる時はそう簡単に行えるというものでもありません。

檀家をやめるきっかけ

そもそも義実家のお墓は裏山のふもとに一族のお墓としてぽつんと一つありました。

結婚当初はこの家は檀家ではないのだろうなと私は考えていました。

それでも田舎ではお寺の境内にお墓があるなしに関わらずお寺は特別な存在となっていて、お寺さんの言うままに寄進やお布施はするというのが慣習です。

そしてそれを断ると日常生活にも支障が出ることもだんだんと様子が分かってきました。

そういう田舎での日々の生活とは切っても切り離せないお寺さんですが、ここ数年は義実家の周囲でもお寺さんは本当に必要なのだろうかという疑問を持ったり、見直しを考えている人も増えてきているそうです。

多くのお寺はそうではないと思いますが、個人的な理由でお布施を強要するそこのお寺さんの姿も背景の一つであったと思います。

また数年前に亡くなった主人の祖母の葬儀でも疑問視するようなことがありました。

そしてそのことがきっかけで主人と義両親の間で檀家を離れる話が出て、これからのお墓との向き合い方を見なおすことになりました。